どれだけ私が落ち込んでいても、地上で何が起ころうとも、月は、いつも夜のなかにあって、変わらずに、光を放っている。月が昇る方角と時間を、何度も繰り返し確認し、三脚を立て、フィルムを準備する。太陽が、西の空に、ゆっくりと、沈みはじめる。あたりから、色と光が、少しずつ失われ、風の匂いに、冷たさが混じる。ずいぶんと時間がたったような気がするけれど、それでも、月はまだ、姿を見せない。真っ暗闇の中に一人でいると、すべてから忘れ去られたような気持ちになって、少しだけ心細くなる。ぜんぶがなくなって、この世界のぜんぶが消えてしまっても、そこには、何か残るものが、あるのだろうか。そんなことを考えながら、ガラス版を覗き込めば、ゆっくりと、でも確実に、白い光が見えはじめる。胸がどきどきして、鳴り止まない。指先も、少し、震えている。ここに、ここだけに私の、私だけの世界が、ちゃんとある。この小さな世界のなかで月は、上から下へと、のぼってくる。美しいということと、どうしてか哀しいということが、眼の前で一つに合わさって、息が止まる。小さな月にピントを合わせ、一度それを、自分の眼から解き放つ。落ち着いて、と自分に言い聴かせながら、呼吸を整え、丁寧に、フィルムを差し込む。これほどの暗闇の中では、眼はもうなにも映さずに、まるで世界からすべての物事が消えさって、月と私(の意識)だけが、すべてのようだ。それなのにいま、もう二度と会えない人たちの姿が、浮かんでは、消えていく。涙が溢れて、月が、滲む。世界がたとえ消えてしまっても、絶対に失われることのないものと月は、どこかでつながっているのだと思う。この夜に映る月の光や、もう戻れない過去のこと。孤独の意味や、懐かしさのほんとうの姿。生きているということと、いつか必ず、死んでしまうということ。そして、そんなことを思うと、心のなかに広がりはじめる、この嘘みたいな寂しいなにかを、言葉を棄てた場所で、誰かと、分かち合いたいと、強く思った。夜のなかで、月が、輝く。この場所のいまに急に引き戻されて、慌てて指先でレリーズを探す。涙で滲んだこの月に、比喩ではなく祈りを込めて、シャッターを切った。その後も夜明けがきて、月が見えなくなるまで、私はただひたすら独りで、その光を、見続けていた。